GRM blog : 福島
日々のほとばしりから市井の美味そして旅のしおりまで
2011年7月9日1時05分
6月に2回ほど福島県南相馬市に行ってきました。福島第一原発からおよそ25kmの地点にあるそこは、震災による揺れと津波、そして放射能の被害を受けた街です。
僕の従兄弟が地震発生後から南相馬市に幾回か足を運んでいました。4月に彼が支援物資のトラックで向かった先がたまたま南相馬市だったこと。そのめぐり合せをたどって今回の同伴を願い出ました。
従兄弟の彼が南相馬に支援物資を運んだ先は、南相馬市にある病院でした。原発による避難勧告のため他所へ移った住民が、日がたつにつれて戻ってきており、病院としては地域に正確な放射能への知識を広げたい。そんな要望がありました。
偶然にもその従兄弟の彼は以前に原子力保安院に勤めており、「それでは」と彼はたすきをかけて、6月に放射能防護を研究されている先生を呼んでの講演会を開催する運びに。
南相馬へ行った2回とも、1泊2日の日程でした。到着1日目はその講演会の事前打ち合せや本番のお手伝いを、翌日はそれとは別にボランティアセンターに向かい、ガレキ撤去のボランティアに従事してきました。
それはそこにある、として置いておくというか、それは起こってしまったのだとより分けるいうか、物事の変わりゆく様をそのまま受け入れて、流れていく時間に身まかせて智を馴らす。そうして生を営んでいけばいいのだろうけど、3月11日の地震は、僕にはそうできなかった。
4月にはスパイラルさんのお誘いで「アートのちから」というイベントに参加しました。グラインダーマンの作品上演ではなく、今だからこその表現をスパイラルさん、ダンサーさん達と見つけてみたい。お客さんからは義援金を頂戴し、それを送るという主旨には答えられたと思うのだけれど、なにか判然としない。
例えるならば、実物を観ずに前評判と噂だけでそのものを語っているというか、被災地のありのままを知らずに支援を呼びかけるのは、地に足がつかないまま信を問う無人の振舞いのように思える。
振り返ってみると、テレビやウェブからの映像、誰かの放つ言葉を摂取して被災地のことを知るばかり。そのほとんどは、誰かの目を通ってから自分に届く。
いまなにが起きているのか、どうなっているのか知りたい。だから観る。でも、いまいち実感が得られない。もっと知ろうと次のニュースをあさる。そんな情報取得のサイクルは、好奇心という尾っぽをくわえてぐるぐると回っているようなもので、その中心にある「わからない」には一向に近づけない訳で。
インターネットに繋がって、難なく欲する情報にたどりつける昨今、外周への認知範囲は格段に広がりました。ほぼリアルタイムで流れてくる情報により、その場に行かずともモニター前で把握できる。時間は圧縮され、距離は拡張され、手軽に甘受できる知を満たす喜び。ただ、その便利さゆえの弊害からか、俯瞰で見聞きするだけでは乏しい現実感ゆえの「わからない」からはいつまでも脱せない。
自分の足でそこに立ち、見回して匂いをかぎ、声を聞く。身体を運んで、経験を知覚に刻み込んでいこう。そう決心して被災地に向かいました。
市の中心部である原ノ町駅周辺は、津波の被害は見られません。放射能による避難勧告の影響からか、街道沿いにある飲食店のいくつかは営業を止めています。
海側に降りていくと、津波に襲われた地域が現れます。真っ青な空の下に広がる、茶色い大地。瓦礫の撤去はだいぶん進んでいて、遠く海岸線近くまで見渡せる。その風景にぽつりぽつりと見え隠れするパワーショベル。僕とそのショベルの距離はたぶんとてつもなく遠くて、その間にあったひきこもごもを想像して、隔たる空気の層をどっしり重く感じてしまう。
ただ、そこに居る人達は次の営みへ舵をとり、帆を張ろうとしていました。
その病院の院長さん、婦長さん曰く、だんだんと患者が増えてきているにもかかわらず、スタッフがなかなか揃わない。どうしたら働きに来てもらえるか、魅力ある募集をかけられるか、その相談を受けます。ボランティアのガレキ撤去をした先では、これからこの畑をどうするか、持ち主さんからとても具体的な1年の計画を聞きました。ボランティアで同じチームの一人は地元出身の16歳。高校を通信制に切り替えて、ほぼ毎日のようにボランティア活動にきているとのこと。
ここで何人亡くなった、あそこで遺体が発見された。そういう話も出ます。それを聞くと、どういう顔をしたらよいのか解らなくなる。あいづちも出ない。だけれども、そう話す彼らはさらりとしている。僕が会った現地の方々は、感情的に震災の憂き目を訴えるわけでもなく、何を始めようか、どうすれば良いか、その一歩先を真剣に模索していました。
そんな彼らを目前にして、僕がモニターから受けていた悲観の安直さに恥じ入るとともに、この地で生きようとする意思をまずは尊重していきたい。そう思ったのです。
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