GRM blog : 東日本大震災
日々のほとばしりから市井の美味そして旅のしおりまで
2015年10月22日10時50分
2015年9月に福島県文化センターで開催した「こえのしらべ」にて、合唱曲「ふくしまのこえ」を発表しました。「ふくしまのこえ」の楽譜の公開に際して掲載したあとがきをここに転載します。
福島県に住んでいる人々で福島発のなにかをつくりたい。2014 年 8 月に東京で宮武さんとお会いして、打ち合わせもそろそろお開きという時にぽろりとおっしゃったのはそんな一言でした。その言葉が今でも僕をつきうごかしています。なにかとは、なんなのか。福島県の人々が自らの手で産み出す、その自主性はどこにあるか。市井の人々の参加は耳ざわりはいいものの、学芸会のような身内の楽しみで終ってしまわないか。
福島のことなると、どこかかしこまってしまう。福島に住んでいない僕が自分自身に感じるのは、気づかないうちにこさえた垣根がどんどん高くなってしまっていることです。当事者の言葉が意図せず叫びとして増幅されてしまったり、一方通行の強度をもって我が物顔で闊歩してしまうこれまでを見てきた。大河の流れに足をすくわれるのは正直怖い。
僕は、もう少し肩の力を抜こうよ、という緩いボールを投げたい。心にささった棘の開陳や、マジョリティへの一矢としての号令ではなくて、前を向いて歩いている人々の背中を押していきたい。表現が価値を持つのはそれを受け取ったというただそれだけの純粋な行為が、人の心を動かしてしまうところにあります。経済や人間関係のしがらみに左右されず、誰かの営みにわたしの心が動いてしまう意外性。作用する実直を探そう。
2014 年 11 月に福島へ行き、様々な劇場を周ったときに知ったのが、合唱表現が地に根付いているという福島の一面でした。僕は合唱については全くの門外漢です。とはいえ、舞台があって客席があり、誰かの目前で時間と空間を共有して表現するあり方はダンスも合唱も同じだろうから、まあともかくやってみようじゃないかと身の程知らずに膝を打ちました。合唱という表現を形にすること、その過程を一歩ずつ前に進めていくことに決めました。
合唱曲「ふくしまのこえ」を作曲くださった畑中さん、そして合唱指揮をとってくださった佐藤さんとの出会いは奇跡でした。僕らの心に静寂を誘う畑中さんの旋律に佐藤さんの熱意が掛け合わさったことは、楽譜から歌が立ち昇っていく大きな牽引力になったと確信しています。
福島県文化センターの発表会にご参加くださった皆さん、本当にありがとうございました。お互いをあまり知らない状況で 2 日間で歌い上げるなんていったいなにがどうなるか。先がみえないドキドキが、もしかしたらいい方向に働いたんじゃないかと勝手に思っています。
そしてこの度の機会を与えてくださった福島県立美術館の宮武さんに深謝を申し上げます。まだここに無いなにかを見つけて磨き上げていくことは、信じてくださらないことには始まりません。途中で不安の種が芽生えること無く完遂出来たのは、粘り強くことにあたってくださったご姿勢あってこそでした。
最後に、これをお読みに皆さんにお願いがあります。この楽譜を公開することにしたのは、僕らが生み出したものを誰かに受け取って欲しいからです。それが宮武さんがおっしゃった言葉ーーなにかが福島から羽ばたいていくこと、なのだと思っています。叶うならば歌って欲しい。もし僕らが観ることのできる機会があるならば是非ご一報ください、必ず聴きに行きます。
出典:合唱曲「ふくしまのこえ」楽譜より
http://voice.grinder-man.com/pdf/Fukushima-no-koe_score201510.pdf
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