超越した瞬間を生身で見せる

先週末のパフォーマンス Forever Dancing 終演から数日が経って、あそこはこうすればよかったのかとふっとKAIZENがよぎります。終わったのにいまだ無心が興奮しているのは、粗削りながらなかなか良かった証。

出演者の皆さま、スタッフの皆さま、そしてご来場の皆さま、まことにありがとうございました。機をみつけて、またいつかどこかで再演したいと思ってます。

GRINDER-MANらしい、らしくないと、酸い甘いのご意見を多数いただいています。僕の「いま」を実直に出したので、それ以上でも以下でもない、ってのが素直な胸の内。現実としてあるのは、例えば去年の今頃は、これを形にすることは不可能だったということ。出演者やスタッフのネットワーク、クライアントからの信望、予算、日程などいろいろと積み上がってきての「いま」がある。

僕のやりたいことは、人間賛歌の体現です。生身の身体による自身を超越した瞬間を表に出したくて、それをどういった切り口で見せるか、ということをひたすら考えてる。僕らは十人十色で、讃歌も百人百様、そして僕も年老いていくのだから、生まれてくるものが類をなさないのは公理。そう割りきってます。有象未曾有それぞれが説得力を持って結果を残すことが、僕の腕の見せ所だと思ってます。

大衆文化への畏怖、なぜポップがカルチャーになりうるのか。そこに敬いをもって挑んだのが今回の僕の主旨でした。アートに身をやつした反目としてポップカルチャーに軽口をたたく人々がいるけど、僕にはとっても違和感がある。山にこもって鳥や猪相手に大局を語ったとしても何も成さない。山を降りて糞を踏め、僕はそれを選んだのだ。