GRM blog : 考える
日々のほとばしりから市井の美味そして旅のしおりまで
2012年5月22日9時15分
今月24日と28日に、横浜は象の鼻テラスにて出演者のオーディションをおこないます。
これは、今年9月に発表予定の新作にむけた第一歩。先月末にぼんやりと内容が見えてきました。そろそろイメージボードを起こして構成書を書いていきます。平行して出演者やスタッフも固めねばで、歩みは少々遅いかも。それよりもなによりも、題名を決めねば。最近は専ら、ねばねばしてます。
さて、オーディションを開くにあたって、最近考えていることを記します。
表現の営みの目的は、一概に言ってしまうと「観ている人のこころを動かす」、その一言に尽きる。舞台表現、いわゆるダンスや演劇にかぎらず、ひいては絵画や写真や立体造形、小説も漫画も映像も歌も、すべてひっくるめて、そう。
こころをどう動かすのかは、古今東西ヒトが積み上げては崩してきたお作法があって、僕らは無作為にそれらを受け取り、生きている今という時代を確かめる。とはいえ、身ひとつの僕らにはこの世に在る「時間」は有限で、如何せん全てを享受するのは無理な訳です。
そこで、好みと都合において選り分ける分水嶺は、僕らの「時間」の預け方。「時間」の舵を握るのは、作り手かそれとも受け手なのか。演劇、ダンス、音楽のライブ(演奏)は、作り手が握ってる。その場に出向かないと受け手になりえないし、作り手が櫓をこぐ手を「止めて」しまえば其処が終わりになる。その点、絵画や写真、立体は受け手次第。作品の前で立ち止まって夢想しようが、素通りしようが、僕ら受け手の自由。映像や音楽はその中間にあって、映画館や音楽のライブは作り手が舵を握っているけど、マーチャンダイジングの歴史が始まってからは、受け手が選択できるようになった。見始めて「あれ?」と思ったら途中で止めてしまえばいい。
ここで、僕の興味のある、受け手が時間の櫓を漕ぐ表現、ダンス、演劇、音楽のライブを真っ平らの床に並べてみると、作用するこころの着地点は違えど、そのほとんどが描く軌跡はそんなに違いが無いのかもと思えてきました。樹形図の枝の先が少し違うだけで、途中の幹は結構似ている。
そのほとんどは感情に訴えかけるヒロイズム。僕らは表現の主体に好意を寄せて、その個人の一挙一動に没入していく。アイドルとはその最たるものだし、音楽であればその演奏者に感銘を受ける。演劇は、特定の演者の居方にこころトキメかせて、ダンスも実はそう。誰々の身体がスキ。その根底には、他者に対する畏怖の念が横たわってる。
その一方で、体験した空間と時間を振り返り、俯瞰した視点で意図の総体を感受する楽しみ方があります。演劇だと、演者が立ち回る舞台でくりひろげられる世界、お話の厚みがどうか。音楽だと、曲順という盛り上がり。じゃあダンスだとなんだろう?
それこそ「時間」という僕らが抗えない一方通行を、身体自身で表すことなのじゃないかと思うのです。時間そのままに乗る、時には加速させて、止める。自己に酔わず、何かを模することなく、身体の装飾=感情を排除した、ダイナミズムを顕わす。ダンス=踊りとは、言葉を使わない、鍛錬も必要としない(そんなことはないけど)原始的な表現ですから、原理主義的思考がスタート地点でいいのじゃないだろうか。
表現を楽しむとは、僕ら第三者が勝手な想像力を膨らませることです。想像を高みに持ち上げるテコを、好き、嫌いといったemotionalとするのは他に任せた。叙情的ならざる身体で、時間構成や空間創造によるfunctionalを興す。膨張率の大きさよりも、増幅させる質に力を注ぎたいと考えています。
「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2012」 連携公演として、2012年9月21日〜23日に象の鼻テラス/パークにて新作パフォーマンス作品を上演します。象の鼻テラスとその周辺を使用する先駆的な作品の発表を予定しており、本作に意欲的な出演者を広く募集いたします。皆さまのご応募をお待ちしています。
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