オマケとハイクオリティの二極化時代、僕は学生だった

めっきり日差しも落ちてきて、本格的な冬の兆しを感じるこの頃となりました。現在グラインダーマンは来年~再来年に向けてプロジェクトの計画真っ最中。

最近「パフォーマンス」という単語を目に耳にするようになりました。NHKの番組では、人前で何やらを発表する行為総称をパフォーマンスと呼んでいるようです。パフォーマンスも表現として市民権を得たのかしらん、でも僕の理解とは違うなぁ。裾野が広がったのか、時代が進んだからなのか、なにか薄まっちゃったぞ、と感じています。

じゃあ薄まったのはなんなのか。せっかくのブログですから、この場で改めてパフォーマンスについて再認識しつつ、半生を振り返ってみようと思いました。あくまで個人の原体験からなので、芸術史のような正確性は欠いていることをご理解いただき、お楽しみいただければ幸いです。

時は1990年代中盤、僕は大学生でした。

当時、芸術に触れようとするのなら、向かうは銀座の画廊群か美術館。昨今多数見られるアート系のイベントや、日本各地で開催がすすむビエンナーレ、トリエンナーレなんて全然なかった。70年代~80年代の回顧展ばかりが美術館で行われ、細々と画廊で現代美術が生息していました。

そのころのパフォーマンスとは、画廊や美術館の展覧会場において作家が「オマケ」として行う行為を指していました。送られてくるDM(メールじゃなくて!)やチラシの片隅に、オープニングパーティーの日時と共にポツリ、「作家によるパフォーマンス有り」と書かれているわけです。意図としては、オープニングパーティーへの集客率を高めるためというより、にぎやかしの必要性からでしょう。軽くお酒が振る場には宴会芸というか見世物があったほうが場が和む。純粋な、祝祭性からくる必然だったように思います。

主役は展示されている作品、例えば絵画や立体であり、パフォーマンスはそれら作品の本筋から「はみ出ちゃった」作家の何かなのです。言わば「オマケ」。「オマケ」だから練習や段取りに力は注がれないし、照明・音響も寂しい。観客も「オマケ」を見に来ているわけで、誰もそこに舞台芸術としてのクオリティを求めようとはしていない状況がありました。

その一方で、パフォーマンスアートといえばダムタイプでした。自ら企画をし、作品制作を行い、劇場にて作品を発表する。グループを牽引していた古橋悌二さんがエイズで亡くなり、そのスキャンダル性も追い風となり、日本の芸術界に旋風を巻き起こしていました。

ちなみに僕の初ダムタイプは、グラインダーマンが始まった1997年秋頃でした。新宿のパークタワーホールで初めて見た直後は、腰が抜けて立てなかった。音、光、映像、身体の絡み合い。どれもが突出することなく、シーンが移り行くごとに主役のバトンを渡しつつ、高い完成度を保ったまま終幕していく。シンプルで飾り気がないビジュアルの連続は、ぼんやりあった21世紀への終末観を重ねていたように思います。

オマケとハイクオリティの二極化時代、その頃の「パフォーマンス」は、まだ美術用語でした。

今回はここまで。

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タグチヒトシ
演出家。パフォーマンスグループ GRINDER-MAN代表。リアルタイムなライフログはFacebookにて。YouTubeにてダンス映像 Dance Brew を配信中。