MUSTANG Singapore ~ 〆はたまねぎと唐辛子で

今回はプロデューサー、ディレクター的な視点で率直に吐露。

今回の会場であるEsplanadeには、確実に観客がついていました。

集まった多くの観客に漂う「Esplanadeはなにかをやるようだ」といった期待感。その期待感は、演ずる我々の気持ちをさらに高みへ鼓舞させてくれます。「凄いものを見せたい」という表現者の欲求を具現するにあたり、なくてはならない要素。純粋に嬉しくなる。

これは大事なことで、去年の大阪公演で苦心した点でもあります。会場が持つブランドクオリティは、明日明後日で培われるものではありません。それは、グラインダーマンのような「流れカンパニー」にとっては、どうすることも出来ない事柄です。

観客の囲い込みも、カンパニーの戦略としてやるべきだ、という会場側の意見も解ります。ですが、ほとんどのカンパニーの懐具合やスタッフ力を思うと、現状は苦しい。

観たことがない表現に触れる機会を作る、これは運営手法を超えて会場の存在意義であるべきです。「楽しかった」「わからなかった」の一言で収めてしまう観客、それでも良い。なにがしらの感想を観客に思わせ、表現者へ届ける責任が会場にはあるはず。そうして表現は次へ向けて巣立つ。

動員数を表現者の名声にのみ頼ってばかりでは、一向に観客は育たない。パフォーマーも育たない。その悪循環は、芸術(特に舞台表現)の衰退を促します。Esplanadeの規模で、表現者と観客、会場が三位一体となる場を、この日本にも強く望みます。

グラインダーマンが今回参加したフェスティバル「flipside」のコンセプトは、「伝統的なアートのイメージを『覆す(フリップする)』ことで、アートに興味を示さない人たちにも興味を持ってもらうキッカケになれば」でした。「MUSTANG Singapore」は、それに十分答えられたと思う。

初日の夜の回、ラストシーン近くの出演者全員が服を脱ぎ捨てるところで、複数の叫びに近い感嘆が客席からあがりました。僕はそれを聞いて、やって良かったと確信できました。

シンガポールの参加者は身体的クオリティに関しては低かったと言わざるをえません。ただ、それを補える精神力は持ち合わせていました。「フリ入れ」の時間になってしまいがちなシーン練習にも、「今はどうゆうことを考えて動くのか」といった質問が幾回もありました。

だから、本番は、跳ねたのだと思います。総意に従った自らの判断で行動する肉体ほど美しく、それは観覧者に何かしらの発奮を強いる、そう思っています。

そんな今回のシンガポールを終えて、次に探してみたいのは、これまで以上に強い完成度かしら。実質、2~3年前のMUSTANGよりは、今のMUSTANGのほうが完成度は高い。ただ、それは完成度を高めるメソッド以外のトライをしていないという側面もあります。

求めるのは、絶対的な意思を持った出演者達の目。「第四の壁」がある舞台施設でやるのも悪くないかもしれない。そして、適応力が広く、独立心が高い人々を集めてみたい。観客の目に自分が映っている、観客の脳に自分が何かを感じさせている。その瞬間のやりとりは、経験を積んだ者しかわからないことです。

これはMUSTANGかもしれないし、MUSTANGではないかもしれない。今は分からない。
期待していて欲しい。

★おまけ★

たまねぎと唐辛子をお箸で串刺しにしたオブジェ。これはシンガポールのおまじないの類で、日本でいうところの「盛り塩」です。お客さんが増えるようにとの願いを込めて、esplanadeのプロダクションマネージャーが、毎日1個作ってはステージ裏の植え込み内に潜ませておりました。

正直言って半信半疑(効果云々ではなく、存在そのものに対して)でしたが、最終日に3つ並んでいるのを見てしまうと、真剣な姿勢に対する僕の狭い了見に、強い恥かしさを覚えました。

心残りなことに、たまねぎと唐辛子の由来は聞いていません。またいつかシンガポールを訪れたときの宿題として、楽しみにとっておこうとおもいます。なお、日本の「盛り塩」の由来は、ウェブの海によると古く中国までさかのぼるそうです。詳しくはこちら→

それでは皆さま、次のパフォーマンスでお会いしましょう。

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タグチヒトシ
演出家。パフォーマンスグループ GRINDER-MAN代表。リアルタイムなライフログはFacebookにて。YouTubeにてダンス映像 Dance Brew を配信中。