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グラブロ|GRINDER-MAN代表 タグチヒトシのブログ

2010年に読みなおしたい本、のつづき

2010年3月4日

先日のエントリー、2010年に読みなおしたい本 ~ 『生活の設計』 佐川光晴 のつづき。

近年に似たような題材を扱ったものとして、映画「いのちの食べかた」を挙げたい。

魚や豚、牛の人工交尾から屠殺、鶏の飼育場、野菜の出荷等々、「生きもの」が「食べもの」になる過程を淡々とつなげた映画、いや映像と言い換えたほうがよろしいか。普段はうかがい知れない日常生活の立役者達―よどみなくヒヨコを運びつづけるベルトコンベアや、そのヒヨコの雌雄を黙々と選別する労働者―が活躍する現場が、台詞もBGMも無いシンメトリなカメラワークの先に居続ける。

でも、「活躍」という言い方はたぶん違う。車の生産工場を想像して欲しい。金属のパーツ類を組みあげ、ガソリンで動く「車」を生みだすスタッフやロボット。彼らには、その創造性を賞賛する意味で「活躍」が相応しい。

一方、本作で取り上げている工場や農場で働く彼らの目的は、生き物を分解し、それら物質の目的を再構築するところにある。その過程で失われる、それぞれの”いのち”に思いを馳せ、我々は「食べるための収穫」と「生きるための殺戮」の、二律背反の狭間を知る。我々が富んでいる証拠は、この映画を通してその狭間に思い悩めることであり、この映画が良いのは、狭間から脱するための明解な答えの押し付けが無いところだ。

作中で印象的な(たぶん唯一の)演出といえば、ヒヨコの雌雄を選別するおばさんの休憩風景。おばさんは休憩時間中に、なにかを食べている。口をもぐもぐする。それもあまり美味しそうじゃない、なにか、をだ。

慣れた手つきでヒヨコを放る姿と、その食べる行為のギャップは、モンタージュのお手本。『生き物の命は大切に頂戴せねばならない』といった静かなスローガンが、微々たるドラマツルギーのもとに、抜け目なく訴えられている。

ただし、僕の眼に映る彼らの姿は、どうしても「活躍」だった。

山中にそびえるダムを見上げた時に感じる、あの荘厳さ。複数の力の集積によって生み出された、大規模な建造物や工場ライン、大量生産のシステム。それらは便利を矛に突き進む、征服欲のかたまりか。

人間は図太い。



ところで、邦題「いのちの食べかた」はいただけない。この日本製のプロモ映像は、どこか説教くさいし、フリーのサンプルから取ったようなBGMなんて本編には一切無い。原題:OUR DAILY BREADのほうが、現象をそのまま捉えていて健やかだ。

inochi
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