2010年は国民読書年だとか。
昨年を想い起こすと、8月の公演「MUSTANG MONO」が終わるまでほとんど本を読まなかった。いや、読めなかったというのが適当か。自分の中からぼんやりとしたアイデアをひねり出し、形にするための選択を積み上げる途中で、僕は貝になりたい。自分の源泉への旅路を迷わないように、あえて見ない聞かない。了見を狭くして、自分の「コレだ」を尖らせておきたい。
そんなストイックさの反動からか、9月に入った頃から活字欲が一気にブレイク。論語から暴露本までジャンルを問わず言葉の海に漂いました。この国民読書年へむけた一歩として、再読するであろう心に残った一冊をご紹介いたします。
屠殺場で働く「わたし」の、現況と回想を説きつつ、なぜ屠殺場で働いているのかを一人称で語る小説。第32回新潮新人賞受賞作品。
著者の佐川氏は、実際に屠殺場で働いていた。本書自体、そこで働いていた4年間に書き上げたものだとあとがきにもある。主題の必然性を裏付けるその稀なる経歴から勝手に想像して、社会暗部からの告発や被差別部落問題の言及なのかしらんと本書に臨むと、書き出しからすかされる。
わたしは汗かきな人間だ。わたしはこれといって特徴のない人間だが、誰かがわたしに向かって、あなたはどのような人間ですか? と尋ねるならば、わたしは汗かきな人間です、と答えるだろう。
こんな調子で、汗にまつわるエッセイにも似た小話が続く。そして10ページほどめくったところで「屠殺」の二文字が突然現れて、屠殺の話=社会に物申すというスタンス、それこそが僕の中の浅はかな偏見だったのかとまず気付かされた。
主人公は、屠殺場で働き続ける動機を周囲の人々―同じ職場で働く面々、妻や妻の両親、大学時代の同期から近所の床屋のおやじ等々―の反応から探す。歴史の検証や賢者の意見を拝借して自らの考えを推し進めるのではなく、自らの生活と周囲との緩衝を通して、社会からの視線を代弁させている。かといって、主人公に筆者のスクエアな想い(社会正義的な物言い)を言わせたり、はしない。
本書の「屠殺」は、丁寧なまでも私的な挟視野から述べられており、「わたし」の独白は核心を周遊しつづける。「わたし」は僕ら読者を雲に巻くように回想し、時折本筋を思い出させてくれつつも、段落を終える数行前では巧みに別の目的地を示す。
そして終幕一つ前になって、ようやく突き抜ける。それは主人公の振る舞いによる起承転結というより、文脈形成のルールが転換することで生じる爽快感だ。一冊を読み終える時間自体に演出がなされているとは言い過ぎかしら。
ともあれ、視界が晴れて美が現れるのである。言葉が輪郭を描き、彩色をほどこす絵筆を取りはじめるのだ、文字通りなのだけど。
現在『生活の設計』は絶版で、amazonではそれなりの値段のついた中古品が取引されていますが、本書は「虹を追いかける男」に収録されています。










