「新しい」は2つの主語をもっている

1月中旬からの突っ走りが小休止しています。富山県立近代美術館のパフォーマンスから帰ってきて、そのまま深夜の六本木ヒルズの撤収に駆け込んだのが、先週月曜日深夜。あれからあっという間に3月は去っていき、今日から4月が来た。

頻発する打ち合わせの合間に、たまりにたまった山のような事務作業を切り崩しながら、興味の充足を計ってます。カメラのレンズのことを詳しく知りたくて、レンズのお試しができる東京パナソニックセンターまで行ったら、帰り道に勢いでカメラを買ってしまった。自分の眼よりもそれを撮してしまうズームに感動した。レンズ沼という言葉が、僕の心を侵食している。

僕らは、それがこれまでにないものかどうかを無意識に確かめている。「新しい」は2つの主語をもっている。それが自分にとって新しいか、それともこの世にまだ無いものなのか。後者を目標にして取り掛かっても、思いつくそのほとんどは前者というのが現実だ。

だから分け隔てなく沢山のものを見て眼を養い、触れてみて指先を砥ぐ。そして主語を固めて自信に満たされてから、それに取り掛かる。そうじゃないと、道半ばで似たようなものをみつけてしまったときの、あの挫きに負ける。

秋冬の間に仕込んだ諸々が芽吹いてきていて、また今年の花を咲かせる時期がはじまろうとしています。これからどうぞよろしくお願いいたします。

タグチヒトシ
演出家。パフォーマンスグループ GRINDER-MAN主宰。最新情報はFacebookにて。