MUSTANG Singapore ~ 練習とはなんぞや

つい3年前まで、練習なんて無駄なものだ、と思っていました。

演劇であれば台本、ダンスであれば振り。事実、ほとんど舞台芸術には、到達する目標、というか軸があります。演者が演者たる第一の責任は、まずその軸を理解し、行為に置き換えていくこと。時には、自分の迷いを再認識する象徴としても、必要だったりします。

ただ、与えられる軸が初めから明確すぎると、練習の繰り返しから生じる賜物か、演者はロボット化し、逆に本番のみにおいて自らの快感を追求するようになります。人前に出た時特有の、緊張が生み出す逆ベクトル。自分100%の興奮状態によってなされてしまう、瞬発的な120%。練習とは全く違うことをしてみたり、集中力が生み出す糞力に身を委ねようとします。本人の脳内では、ドックンドックンな多幸感で満たされているようですが、自己満足の境地につける薬はありません。

時々ありませんか?当人は張り切っているのに、こちらとしては、なにか気に障る。なにか伝わってこない。舞台芸術は、スポーツのような勝敗を決する場ではないのだから、その張り切り=自分100%の瞬発力を、隣の出演者や観客に向けた以心伝心に使うべきです。その願いから、時には厳しい言葉を発することもあります。

MUSTANGしかり、グラインダーマンは「群れの美学の追求」です。群れとしてどう動くのか、群れの個体としてどうあるべきか。総体がひとつの意思を持ったり、一匹(一人)だけが犠牲になったり、狼が出現して逃げ惑ったり、なぜか自分が村八分にされてしまったり。

そんな、ぼんやりとした軸の中から、ヒントをつかみ、各個人が自分の力で脳内に地図を作り上げる。そして出演者全員が、自らの役割を明確に意識し、相互の了解のもとに共通意識を培う。

現在は、それが練習であると考えています。

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タグチヒトシ
演出家。パフォーマンスグループ GRINDER-MAN主宰。最新情報はFacebookにて。